右の大腿骨を折りました。
受傷の詳細は、公の場所でのことなので割愛させてください。
まあ、あり得ないほど右腰を強打したということだけ(手すらつかず、腰だけ打ちました)。
入院中不安じゃないですか。
骨なんて折ったことがないのに、初骨折が大腿骨とかいうでっかい骨。
検索してみるじゃないですか。
おもに気になることといえば
・大腿骨を骨折すると、歩けるようになるまでどのくらいかかるのか?
・標準的な入院期間は?
・全治・完治まではどのくらいなのか?
・リハビリの方法は?期間はどのくらい?
・ケガ前の機能は100%取り戻せるの?
などなど。
また、大腿骨骨折の場合は転子部や転子下より頸部の方が予後がよくないそうで
そのせいか、記事もそちらが多いのです。
ごくたまに、高齢者でない方の骨折記事もあり(やはり大抵がスポーツ実施時の受傷)
とてもとても参考にさせて頂いたので、坂上も記録しておこうと思い立ちました。
苦手な方はご注意ください。
大腿骨転子部骨折の記録
受傷時の年齢:アラフォー
(高齢者盛りだくさんの病院で、何度「まだお若いので」と言われたことか)
診断名の変遷:右大腿骨頸部骨折→右大腿骨転子下粉砕骨折→右大腿骨転子部骨折
なぜこんなにかわる・・・。
※転子部というのは、後日確定しました。
受傷当日:救急搬送→手術
受傷が10:30くらい。
緊急搬送され、地獄のレントゲン(もちろん痛み止めなし)撮影を経て骨折確定。
なぜ医療機関というものは、治療方針が確定するまで痛みを我慢するのが当然な風潮なんだ。
一説によると、レントゲン技師さんが無茶な体勢をとらせようとするので
と叫んだとかなんとか。
ひどい患者もいたものです。
骨折の状態がひどいのと、休日でしたが運よく整形外科のお医者さまがいらしたのと
次の日は手術がいっぱい入っていたとのことで「よし、もう今日やっちゃおう!」と言ってくださいました。
神です。
手術の内容としては
「腿を3箇所切って、チタンの釘を骨の中の空洞に入れてボルトでとめるよ~」というもの。
過去に、知り合いが骨折したときにこういった手術をしたのは聞いていましたが
まさか自分が体内にチタンを入れることになるとは。
当初16時と言われていた手術が、あれよあれよと前倒しになり14:30スタートとなりました。
怪我をして1分後には、いろいろ悟っていまして
(骨折ったことないけど、これは骨折だろうなあという実感があった)
手術を迅速にしていただけたのはすごくありがたかったです。
下半身に着けていたものは、はさみで切ってもらいました。
脱げるわけがない。
何もかもがすごい雑な看護助手さんがお世話してくれてまして
「この人にこれ以上何かされたくない!」の一心で、やたらとその方「もったいない」を連呼してましたが
と、後半は多少キレ気味に。
休日にお仕事してくださっているのを感謝しろよという感じなのですが、だからといって痛いものは痛い。
血栓予防のための着圧ソックスを履かされたときは、また涙目でした。
全身麻酔だったので、手術室について麻酔をされたら次の瞬間にはすでに病室におりました。
なにしろ手術が無事おわったという、精神的に安心できる要因がありますしね。
レントゲン写真も紙でいただきました。
むしろ砕けてる?あとめり込んでいる?
これがBefore
手術後のレントゲン。
足の外側にちっちゃいわっかみたいな白いのが連なって映っていますが、医療用のステープラーです。
映っていませんが、もう一か所上の方にも4つとまっています。
酸素マスクも外れ、水分をとれるようになったのは20時。
のどの渇きがつらかったです。
同時に遅い夕ごはんを出してくれるとのことでしたが、食欲がまったくなくパスしました。
着圧ソックスの上に、これまた血栓予防のため定期的にマッサージされるポンプ装置(めちゃ不快)を着けられて
長い夜を明かしました。
受傷・手術後1日目:ほぼ寝たきり
とりあえず痛い。
食後3回内服・1日3回までの点滴での痛み止めで、どうにかやりすごします。
病院ではがまんすると放置されるだけなので、痛いことを積極的にアピールするスタイルでやっていきます。
午後に担当の理学療法士さんがやってきて、リハビリが開始となりました。
どうみても新人さんで、正直なところ不安がよぎります。
この日はちょっとした説明と聞き取り、触られて「痛った!!!」でおわりました。
受傷・手術後3日目:まだ寝たきり
受傷からずっと右膝が伸ばした状態になっていて、まったく動かしていませんでした。
恐る恐る曲げてみると、激痛!
しかも痛いのは、骨折には関係のない膝。
理学療法士さんがやってきて、少しずつ動かす訓練をします。
右足を持ち上げられたときは、けっこうな高さまで痛みが出なかったのですが
下ろすときはずっと痛くて、死ぬかと思いました。
車椅子の移乗にチャレンジしましたが、右足が激痛で断念。
ネットで見ると、車椅子移乗は手術の翌日からというのが圧倒的なようで
となりました。
坂上以外の人、痛みにめちゃ強すぎませんかね。
点滴の痛み止めは2回に。
採血の結果、炎症値が下がっていないとのことでお薬の点滴が3日追加となってしまいました。
さらに人生初の貧血!顔色がかなり悪いです。
しかしながら主治医からは「うん、若いから大丈夫!」で済まされました。
病院の外では、もう若くない年齢なのですが。
受傷・手術後5日目:まだまだ寝たきり
点滴の痛み止めは、リハビリ前の1回のみに。
またしても激痛で車椅子には乗れず。
リハビリは1日1時間のみなので、ほぼ寝たきりで時間を持て余します。
6人部屋ですが、おしゃべり大好き高齢者の方々ばかり(声デカイ)で
看護師さんが、毎日心配して「大丈夫?」と聞くほどの賑やかさです。
ただ女性だけあって、いびき率がものすごい低いので助かりました。
男性の入院日記って、ほぼ「いびきに苦しめられた」という記述があるので。
受傷・手術後6日目:ようやく車椅子
前3日は、右側から車椅子移乗にチャレンジしていたんですが
ふと
左から乗ろうとした方がスムーズなんじゃね?
っと思い立ち、理学療法士さんに提案。
「最初は右でやってみませんか?」と言われたのですが、強固に主張したところ療法士さんの方が折れて、左側から移乗チャレンジ。
昨日とは比べものにならないくらい、あっさり乗れました。
そりゃ少しずつ回復しているっていうのはあるだろうけど、
という不満が生じる結果に。
ただ右足を車椅子の足置きにのせることはできず、クッションをのせてその上に足を置きました。
その後は入院後初のトイレへ。
右足は痛みで床へ下ろせず、トイレに置いてある丸椅子に右足を乗せたまま便座に腰かけるという、訳のわからないスタイルに。
少し元気になったので、撮影してみました。
右足が腫れてパンパンです。
血栓予防のソックスは、足の裏(指のつけ根のところ)が丸くあいているのですが、右はずり上がってしまい、指がむき出しになってます。
しかし、膝が曲げられないので自力で直せず。
受傷・手術後7日目:痛み激減!
看護師さんに「痛みはどうですか?」と聞かれ、「動かさなければ痛くないですね~」と答えてはじめて気づきました。
動かさなければ、痛くない・・・!
リハビリ前以外の内服もストップしました。
受傷・手術後8日目:点滴卒業
点滴の穴を確保しているのも邪魔だし、針さすときに何度か失敗されているし
(「色が白い割に血管が見えない」と暴言を吐かれました)
なにより痛みが治まっているので、点滴は卒業としました。
さいごに、お世話になった点滴さんの記念撮影。
受傷・手術後10日目:ようやくサラサラヘアに
気づいたら、骨盤をまっすぐ立てて座れるようになっていました。
昨日くらいからかな?
というわけで入院後、初洗髪しました。
車椅子で移動し、洗髪台へ。
以降は1日おきに自力で洗髪できるようになり、人間らしい生活に一歩前進(笑)
リハビリ前の内服痛み止めもストップしました。
受傷・手術後11日目:抜鉤(傷画像あり、要注意)
坂上の入院している病院では、毎朝回診があるのですが
軽い気持ちで傷をみせたら、心の準備もないままに抜鉤(術後のレントゲンに映っていた医療用ステープラーを外すこと)をされました。
まあチクチク程度の軽い痛みです。
抜鉤されたら傷口のガーゼもなくなり、むき出しとなりました。
手術後の右足をはじめて見ましたが、
という感じです。
手術の傷はひどいし、写っていませんが水ぶくれが破けた傷も追加されているし
内出血も広範囲だしで、死んだ肉にしか見えません!
動くから生きてるんだろうけど。
なんか肌の色も悪いですね。
向かって左が足のつけ根側です。
内出血もすごい。
抜鉤までは、ハニカム型に穴が開いているガーゼをのせて上に透明テープという装備だったのですが
みごとに一部六角形のあとになっています。
よく考えたら骨が折れるほどぶつけているのだから、打撲とかもありますよね。
膝近くの傷。
こちらは打っていないしもちろん骨折もないので、ボルトをいれるために切った傷だけ。
車椅子に割とスムーズに乗れるようになり、バルーン(導尿)もようやく抜いてもらえました。
坂上は膝を鳴らすことができるのですが(指を鳴らすのと同じ感じで、ポキッといわせる)
受傷後はじめて右膝が鳴り、変なところで回復を実感しました。
手術後は、ずっと右ふくらはぎの下にバスタオルの三つ折りを敷いていました。
健常時はまったく気にならない程度の、膝上と膝下の高低差で痛みがあったので。
本日気づいたのですが、バスタオルなくても痛くない!
受傷・手術後12日目:荷重5割
ようやく自力でぱんつ交換ができるようになりました。
リハビリでは、右足への荷重を増やしていく練習を。
体重計をふたつ使い、荷重を計ります。
右足は最高でも25kg
まだ荷重5割なので、目標までもう少しといったところですね。
平行棒で歩行訓練もしておりますが、右足がぜんぜん動かせません!
ちょっと前後に出すのがやっとというところです。
骨折のショックで神経がうまく動いていないのか、原因はよくわからないのですが
痛みが減ってきたので筋トレを試そうとするものの、うつ伏せ・仰向け・右足を上にした横向きの姿勢で足を上げようとしても上がりませんでした。
※これらはのちのち動くようになっていきました。
ほかには、ベッド脇で車椅子から自力でつかまり立ちをする練習。
手術後、初うつぶせができました。
姿勢がかえられるのはうれしいです。
受傷・手術後13日目:リハビリ休
日曜日は、リハビリがお休みです。
車椅子で移動し、コインランドリーで初洗濯。
努めて日常生活の動作をしないと、社会復帰できなさそう。
ケガ前に習慣にしていたストレッチを、やれる範囲で再開しました。
お見舞いにきてくれた夫氏に車椅子を押してもらい、ひさびさに外の空気を吸いました。
受傷・手術後14日目:全荷重許可
今日から右足の全荷重OKに!
つまり右足だけで全体重の約55kgを支えることが可能ということです。
ただし体重計で計ってみると、35kgが限界・・・。
ひとりで車椅子に乗り、トイレに行ってさらにベッドに戻ることができるようになりました。
以後、ひとりでトイレに行けるように。
そしてついに!車椅子の足置きに右足をのせることができました。
先端にかかとをちょっとのせる程度ですが。
リハビリでは平行棒を使って少し歩き、明日から松葉杖の練習をはじめることになりました。
受傷・手術後15日目:初シャワー!
入院後、初シャワーを浴びることができました。
人間に戻った感じです。
リハビリでは右足の荷重40kg
少しずつ前進しているようです。
そして人生初の松葉杖を練習。
右足がなかなかついてきません。
受傷・手術後16日目:ザバス
ケガで入院しているのに、病院食は明らかに量(おもにたんぱく質)が少なすぎです。
ある日の食事記録です。
これは病人食よね・・・。
正直ケガだけなら食事制限もないし、もっとたんぱく質を意識してほしいな
という気持ちです。
それまではけっこう筋トレとかも気を付けていたので、筋量の低下がとても気になります。
という訳で、お見舞いにきてくれた同僚にザバスの紙パック飲料を頼みました。
さらにAmazonで箱入りを購入。
夫氏に持ってきてもらいます。
これで1日30g、たんぱく質を増量できます。
同僚に車椅子を押してもらい、外の風を浴びました。
外の空気が気持ちよすぎる!
リハビリは右足荷重45kg
介助とクッション込で、右足を上にして寝がえりをうてました。
受傷・手術後17日目:もうすぐ全荷重できそう
右足を上にした横向き寝が少しできました。
リハビリでは、右足に50kg荷重
病院内の移動も、松葉杖OKになりました。
受傷~転院までのまとめ
骨折したのもこんなに長いこと入院したのも初めての経験です。
という感じです。
ホントに痛いことだらけで、二度と骨は折りたくないです。
転院後のリハビリ記録、②に続きます。
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